残暑厳しい9月の日曜日。石切神社を目指してぶらり。
石切神社によく当たる霊能者がいるって話を、かつてアルバイトで勤めていた店で聞いて、なんとなく気になっていた神社。「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」が正確な名称。
近鉄奈良線の石切駅から神社を目指すと、10件以上あるのではないか、やたらと占いの看板が。
ああそうか、霊能者は神社の神職の人かと思っていたけど、きっとこの占い通りの中の一人なのだと推察。
それにしてもなぜこんなに、恐山のいたこみたいに(行った事ないけど)霊能者が集まっているのだろう。よく当たる人が最初に一人いて、客がどんどん増えるうちに店も増えていったのだろうか。神社におみくじがあるだろうに、さらに占い?
そもそもおみくじって、正に「くじ」なので、そこに運勢や予言性を期待する心理が、私にはよく分からない。右か左か、どっちの道もよさそうだけど迷うな、みたいなときに判断を委ねるくらいが丁度いいように思う。
さて神社や神話は好きなので、歴史がらみのパワーを期待したのだけど。占いには興味はないので館の数々を尻目に進んでゆく。
神社に続く商店街は坂になっており、道幅がやたら狭い。
そして、蛇行している。
このクネクネぶり、かつては水路だったかな?
土産屋は社家ではなく普通の民家のようだし、狭さからすると生活用水路で、人々が水を汲んだり流したりした、インフラだっただろうか。でも、道は神社に直接繋がっているので、汚水は流せないのではないか?ちょっと不思議で謎な感じ。きっと、駅からの最短ルートを参詣者は通るので、その道筋に店が増えていったのだろう。
きっと参道は他にあるなー、と思っていたら、商店街とは別に参道があった。
エノコログサみっけ。
さすがC4植物、暑くてもよく育つ。
向こうには大きな山門。こっちが本来の参道だね。
御百度参りで知られる神社とかで、熱心に御百度を踏む人々の姿が。
それにしてもこの商店街、よもぎそば、よもぎうどん、よもぎ天、よもぎ餅と、やたらとヨモギ推し。確かにヨモギは私も激推しの道草ですけど。そんなに推しても一般の皆さんのニーズは低いのでは?と、いらぬ心配をしてしまうほどの推しぶり。
どれもヨモギを練り込んで作った風の食べ物で、味も容易に想像できる品々。でもそんなに推すなら、仕方ないなぁ、道草マニア、雑草ラバーとしてねぇ。
よもぎ焼き団子Bセットちょうだい。
店のおばちゃんの話では、「昔はこの辺でヨモギが採れたので、ヨモギが名物になった」のだとか。
たぶん今まで、団子をひっくり返しながら何万回と同じセリフを口にしてきたのだろう、そんな感じの受け答えだったので二の句を注ぐのをやめておいた。
ヨモギはどこでもよく育つ、特別感はゼロの植物なので、それだけではこの推しぶりの決め手に欠けるなぁ。昔と変わらず今でも近所で採れるはずだけど、きっと昔ほど空き地が無くなったので経済効率的によそから仕入れてるって話かな。
そういえば、石切神社の神様は「でんぼ(腫れ物)の神様」として古くから親しまれ、腫れ物などを治してくれると信仰されてきたとか。ヨモギといえば、万能の薬草、ハーブの女神として知られる植物。うーん、このライン、何か関係ありそう。ぷんぷん匂うなー。
駅ができるのは明治以後のはずだから、江戸時代あたりの絵図とか、ないのかな?
さて、団子が焼けた。店の中で腰掛けながら食べられるのかと思ったら、席料100円だって。じゃ、歩いて食べまーす。
話は戻るけど、以前、アルバイトで働いていた店に予知能力がある不思議な常連客がいた。その人は、相手の顔をじっと見てその人の未来を当ててしまうという、ちょっと不気味な、だけど至って朗らかなおばさんだった。
私も最初に会った時、じっと見られたのだけど、将来のことを言われてその事にいくらかでも縛られるのも嫌だったので、別の事に話題を振ってヘタに未来を言われないように仕向けたのだった。そのおばさんが言う霊能者はどの人だったのかは、占い師が多すぎて分からずじまい、特に大きな興味もないので追求はせず。いつか縁があれば、お会いすることもあるのかもね。
また、そのアルバイトの店の社長は、これまでズバズバと未来を当てられてきたとのこと。未来が見えるってどういう理屈かさっぱりだけど、宇宙のことだって謎だらけだし、「時間」とか「物質と反物質」とか、分かっていないことはたくさんあるので、そんな不思議なことがあってもおかしくはないかもしれん、とも思う。
そもそも時間ってなんだろう? いま目の前にある「現在」は、確実に存在するのか? んじゃ、「過去」ってなに? 例えば、我が子や家族、友人と笑い合って過ごした「あの日々」って、どこに行くんだ? 存在ってなに?
「時間」はちょっと哲学めいた、疑問が尽きないテーマのひとつ。そちらの方が、興味おおありの私なのである。